「辛かった3年間」(不登校を3年間経験、男子生徒)

僕は、中学校にほとんど行きませんでした。ただなんとなく周りとあわないということがその理由でした。別にクラスの人や先生が嫌いというわけではありませんでした。ただなんとなく行きづらくなってサボっていました。

毎日ぼくはテレビを見たりゲームをしたり、インターネットをしたりゴロゴロしていました。面白い番組やゲームが無くなると、不安になってくるので寝ました。本屋には良く行きました。でもすごくどきどきしていました。友達にあうかもしれないからです。ワイドショーをよく見ました。悲惨なニュースを見ると心の中で「良し!もっとひどい事件起これ!」と願いました。台風や地震のニュースを聞くと「なんでもっと被害が大きくならへんのや」と怒っていました。

中学三年生の2学期、ベランダから外を眺めるとすごく空がきれいで、その中に飛び込みたい気持ちになってきました。5階のベランダから見るその時の空の青さは今でも忘れません。吸い込まれるように手すりに足をかけたその瞬間に、どこからか「コラ!」という声が聞こえました。僕はビクッとして、その場に座り込んでしまいました。涙が出ました。情けなくて、動けなくなって夜までベランダで過ごしました。

僕は、次の日、インターネットで初めて「不登校」と検索をしました。するとこのページが出てきました。恐る恐る一つの文章を読みました。それは「不登校は国の宝だ」と言っている人の文章でした。その日のうちに全てのページを読み切りました。そして、三重県に不登校をたくさん受け入れてきたという寮の学校があることをしりました。

とにかく、今の状態から抜け出したいと思っていた僕は、この学校に行ってみたい、この文章を書いた人に会ってみたいと思うようになりました。そして、そのページをプリントアウトして、お母さんに見せました。1週間以上誰とも口を聞いていなかったせいか、思うようにうまくしゃべれない。ただ「ここに行ってみたい」と何度も言いました。

その日の夜、クラスの先生が家に来ました。高校のパンフレットを持って。だけど先生には会いませんでした。

見学会に行くことにしました。入学するには、一度見学会を見に行かないとダメなので。当日、すごくいやで本当は見学会に行きたくなかったのかもしれません。不安で不安でした。でも、「変わりたい」という気持ちが勝っていたので、車の中では何度も何度もパンフレットを読み返していました。

「すげー!」これが僕の第1声でした。一面の芝生が広がる広い校庭に水色の校舎、まるで外国にきたかのような光景がそこにありました。「こんにちは」すれ違った生徒が気軽にあいさつしてくれます。そしてホームページの文章を書いた校長先生はこんな顔してたのか。寮はおもったよりキレイだ。先輩も楽しい。クラブも面白そう。案内してくれた先輩とはやっぱり上手くしゃべれなかったけど、4月にはこの寮で生活している自分の姿をはっきりと想像することができました。

入学してから、校長先生に日誌を出しています。ある日、日誌を出しに行った時に校長先生はこんなことを言ってくれました。「君は本当に凄い。苦しんでも、自分で決断してこの学校にやってきた。ほんとに君の将来は楽しみだ。」

僕は今、放送部でがんばっています。あのドもってうまくしゃべれなかった僕はここにはいません。人間はやればできるし、やらなければできない。ただ、僕はそんなあたりまえのことがわかっていませんでした。

入学してすぐに母に手紙をもらいました。僕が「高校に行きたい」と行った日は嬉しくて泣いていたそうです。このまま何もせず、高校も行かず、最近のニュースであったような何年も引きこもって、大きな犯罪を犯すのではと心配をしていたからです。

中学校三年間、何もせずに過ごした日々は戻ってきませんが、迷惑をかけた親や先生のために、一生懸命やっていきたいです。将来は、僕みたいな生徒を助けられる教師になりたい。

(高校1年生男子)

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