【体験記】母に感謝しています

死ぬまでの暇つぶし

僕は中学の1年生の6月辺りから不登校になり、一週間に3回ほど別室登校をしていました。結局卒業するまでずっとそうでした。

中学生の頃の自分は将来の夢もなく生きてて楽しいと思うことよりめんどくさいと感じることの方が多く”生きてる必要がない”と思っていました。なので将来の為に必要な学校にも行く気が起きませんでした。

不登校になってからは一日中ずっと夜遅くまで”死ぬまでの暇潰し”のつもりでゲームをしていました。そのせいで朝起きられないこともあり、それを見ていた母はゲームが原因で学校に行けないのだと思いました。なのでゲーム機を隠したり、取り上げたりと干渉してくることが多々ありました。その度に僕はただ生きてることが無駄だから学校に行かないだけなのに、何も知らないくせにと干渉してくる母に嫌気がさしていました。

 

大きな変化

そういった内面的な母への嫌悪を中二の頃いつものように起こる口論の中で、「僕のことを何もわからないのに干渉してくるな」といった言葉と共に母へぶつけてしまいました。

しかし、その時、そんな冷たい言葉に対しても母はしっかり受けとめてくれました。

この時のことを僕は今も感謝していて、もっと早く自分の考えを伝えていればと後悔しています。このことをきっかけに夜遅くまでインターネットを通じて人と話したりゲームをしたりといったことが許されるようになりました。これは普通良くないことのように思えますが、僕はインターネットを通じて人と関わる上で多少めんどくさいことがあっても生きるのは楽しいんじゃないかと思うようになりました。

 

中学3年生になり進路について考えることがありました。まだ具体的に人生でやりたいことはないけど見つかった時それができるように、選択肢の幅を広げる為僕は進学を選びました。自分の考えを受けとめてくれた母のおかげで結果的に人生に前向きになることができました。そういったことがあり僕は今の高校で頑張ることができています。

おすすめ