「原因はわからなかった」中学2年から不登校を経験

中学2年生の2学期、疲れてどうしても起き上がれない日があった。その日から私は不登校になった。

「何か学校であったの?」と母によく問い詰められたが「わからない」と答えていた。わからないのだ。とにかく体が起き上がらない、何もやる気が出ない、でも夜になると元気になる。夜は元気だから「明日はちゃんとおきて学校に行こう!」と決意する。

でも、起きることができない。

母に連れられて、精神科や小児科に連れて行かれたが「原因は不明。特に問題なし」と言われた。母は「何か原因がわかれば・・」と言っていた。私を病気にしたいようだった。

特に問題なしと言われて、私は内心ホッとしていた。私自身も病気ではないことは分かっていたからだ。

母が仕事に行って、静かになった我が家では、自由に過ごしていた。テレビを見たり動画を見たりしていた。母が帰ってくると自分の部屋に引きこもって、ベットで寝ていた。勉強はする気が起きない。

精神科で「問題なし」と言われて、毎朝の母の恒例行事が始まった。とにかく金切り声を上げて私を起こそうとしてきた。

「早くおきなさい!」「・・・」「学校に行かないと勉強が遅れるよ!」「・・・・」「好きにしなさい!」というやりとりを毎日続けた。

私は、朝が嫌になった。

この家から出たいと思うようになっていった。ネットで調べていると、寮の高校というものがあるらしいと知った。でも、私には家を離れる勇気はなかった。

学校の担任の先生は、週に1回ほど家に来てくれた。でも会うことはできなかった。1階から「今週は調理実習があったのよ〜。宿題を置いておくからね〜」と元気な先生の声が聞こえてくるだけだった。正直、先生が毎週来てくれるのは鬱陶しかったが、来てくれないと寂しいと感じた。わがままだ。

中学3年生になって、何かが変わってきた。

母も担任の先生も進路の話ばかりになった。さすがにその頃からヤバイと思い出した。でも、動くことはできなかった。母に「どこに行きたいの?」と言われても「別に考えていない」と答えていた。

ある日、母が泣きながら部屋に入ってきた。

感情が不安定な母を見て、これはまたヒステリックに怒られると感じた。だがその日は違った。

「ごめん。私が間違ってたの。」

なんのことかわからない。

「不登校の子はね、ダメな子じゃないの。」

そこから、今日聞いてきた講演会の話やその講演会で喋っていた不登校を抜け出したという高校生の話を聞かされた。まあ、そんな人もいるだろうと聞き流していた。そして、最後に母は寮の学校があるから、一度見学に行ってみようと言った。

「見学会に申し込んできたから、一緒に行こう!」

驚いたが、母の勢いに押されてしぶしぶ了承した。

その日から母の態度が一変したように感じた。平日の夜でも、母の時間があるときは外食やスイーツを食べに出かけるようになった。何より母の笑顔が増えたように思えた。そこから寮の学校見学に行き、気に入った私はここでやり直すことを決めた。

気がつけば、高校3年生になる。志望大学も決まり、大学受験に向けて勉強する日々だ。

今振り返れば、不登校の原因は「燃え尽き症候群」だと思う。中学2年生の頃の私は、良い子を演じるために、勉強も部活も文化祭の準備にも一生懸命だった。1日4時間の睡眠がしばらく続いていた。行けなくなったのは、文化祭が終わってしばらくしてからだった。

今は、自分をコントロールする方法も覚えた、無理をしない程度に全力で集中して取り組めている。迷惑をかけた母に恩返しするために、進路はきちんと決めたいと思っている。

(高校3年生女子)

 

 

 

 

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