「人見知りの私」中学2年生から不登校

小さい頃から人見知りだった私は、家族や特に親しい人以外とは目を合わせて喋ることができませんでした。

そんな人見知りがどんどん激しくなっていったのは、中学校に入ってからでした。特別教室に移動する廊下でさえ、誰にも声をかけられたくないので下を向いて歩いていました。授業中に当てられても、一言も発することができませんでした。中学校の先生で、私の声を聞いたことのある先生の方が少なかったと思います。

ですが、近所の小学生の男の子とゲームの話をしたり、知り合いのお婆さんと手芸を教えてもらったり、とにかく年齢が離れている人とは普通に接することができました。

ある日、学校で総合学習の授業があり、、、総合学習は人見知りにとっては地獄の時間です。

「ペアになって話し合ってください」

この一言は、私にとってもっとも聞きたくない言葉です。
誰にも話しかけることのできないので、もちろん最後までペアになれません。

クラスメートが「大丈夫?私たちと一緒にしようか?」という
大変ありがたいお言葉も

「お前は、誰ともペアになれないダメ人間だから、仕方なしにペアになってやるよ」
と聞こえてしまいます。

そんな自分が嫌でイヤで、学校に行けなくなりました。

家では、家族とも普通に接して明るい私が、学校では誰ともしゃべらないなんて、お母さんもお父さんも想像できないみたいで、「サボってないで学校に行け!」と何度も叱られました。無理矢理車に乗せて、学校まで連れて行かされた時もありました。そんなことがしばらく続いてから、お父さんの知り合いの会社でアルバイトをさせてもらうことになりました。

そこは、パートのおばちゃんばかりで、気兼ねなく話すことができました。
多分、私が不登校であることはみなさん知っていましたが、だれもそのことには触れませんでした。

「若い子が来てくれて助かるわ〜」
「元気を分けてもらえるわ〜」
「職場が明るくなったわ〜」
「ありがとう〜」

こんな言葉を、毎日パートのおばちゃん達からかけてもらって過ごす中で、
少しずつ自分の中でも変化が出てきたと思います。

中学2年生の終わりごろ、お父さんから、このまま中学に行かなくても、今の会社でアルバイトを続けていけば生きていけるから、「高校行かずにアルバイトをしなさい」と言われました。

それは、絶対にイヤでした。

私には、高校に行って大学に行きたいという夢がありました。おばちゃん達とのアルバイトは楽しいけど、ここで終わりたくありません。それから、私に火がついて、私でもいける高校を少しずつ探すようになりました。中学校の先生からも、通信制の高校をたくさん紹介してもらったんですが、できれば普通の高校に行った方が良いと思っていました。

いくつか学校を見学して、私が決めたのが全寮制の高校でした。

オープンキャンパスに行った時に「あれ?この学校は何か違う」と感じました。先輩も先生方もフレンドリーで、学校の雰囲気が軽い感じがしたのです。案内してくれた先輩は、私と同じように不登校を経験したと教えてくれました。

地元の知り合いがいる学校には行きたくないと思っていたので、この学校に入学することを決めました。

入学して、大変なこともありましたが、
寮生活で、なんでも話せる友達や先生もできました。文化祭のステージで演劇をしたりと居場所もできました。

人見知りの性格は変わっていませんが、
コミュニケーション能力はアップしたと思います。

人は成長できるし、変われると思います。

(高校1年生女子)

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